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更新日時 : 2010-07-24 19:07:25

「脳死と臓器移植の生命倫理」に関するブロガーの意見で、みんなの参考になりそうなブログ記事を集めています。自薦による投稿も受け付けているので、オリジナルな意見のブログ記事があったら、どしどし投稿してください。

環境を促進していくべきだとの考えにあるが、細部にわたっては反対派の考えも理解できる部分は多い。本当に難しい問題だが、しっかりと論点を見極めながら判断したい。

近い将来に普通に選択される時代が来る事になるのでしょうか?医療機関、個人、一番ネックの厚労省と三位一体でのコンセンサスなんて得られるのでしょうか。

議員1人1人の判断が試される。今のところ、私自身はD案が良いのではないかと思っているが、最後まで、内なる声と向かい合いつつ、結論を出します。

どうか、これを契機にひとりひとりが自分の問題として、脳死・臓器移植について真剣に考え、自分なりの意見を持っていっていただければ、と思います。

彼等が善意や浅慮で出した募金で、海外で臓器が買い漁られているのだ。こんな下品な事が日本人の寄付によって行われている事実を彼等は知っているのだろうか?

死生観や倫理問題という大きな問題を置き去りにした採決には問題があると言わざるを得ない。

臓器移植。この技術が正しい医療行為であるか否かはわからない。ただ、必要とする人がいる事実。そして、それに応える医療技術がある事実は無視できない。

ほんとに「脳死」は人の死なのだろうか?と迷う気持ちもありますが、現行法が抱えている問題点を改善する為にも、法整備は進めていくのは国会議員の役目だと思います。

現在のA案より、AB折衷案やAC折衷案がより多くの議員の賛同を得られることはない。なぜなら、そうした折衷案は愚にもつかないものになるからだ。

*早期解散を受けてマトモな議論がなされぬままに、法改正されるのだろうか。

米国ならと言っても、これが現実で、渡航移植は現実的な選択肢ではなくなる。日本人の命を救える日本でありたいと思うなら、法改正待ったなしだ。

国内で移植を受けられない子供たちのためにも、国内で移植を待っているたくさんの方々のためにも、臓器移植法の改正案についての議論を早急に進めるべきです。

十分な情報が得られているかどうか聞いたところ、「そうは思わない」という人が、8割以上いました。国民の理解が進むように、議論していくことが大切です。

亡くなった人は荼毘に付されます。本人の遺志がなくとも火葬にはするが、臓器の提供は本人の遺志がなければならないというのは矛盾しています。

D案を提案しその成立を図ることとし、A案、B案両案とも撤回されない場合は、D案をA案・B案の併合修正案として位置づけ、D案の採決を優先することを提案したいと思います。

もっと審議を聞いて、考え抜いた上で決めようと思っています。自分でどの案にするか、医学上から倫理哲学的な観点からあらゆる考えを動員させて決めたいと思います。

法で規制まではしなくてもいいのではないかと思います。…提供の強要がないというのはもちろんのことですが、プレッシャーすらかけないでほしいものです。

システムがあると、「臓器を求める志向」が働き、提供者の命を守ろうという意思が弱くなるのではないかという懸念もあります。これは医師会だけの問題ではありません。

改正の内容については、各党さまざまな案がありますが、「脳死を一律に人の死とし、家族の同意があれば臓器提供できる」という内容でなければ実質的に機能しません。

問題は脳死状態の子供を持つ親の説得なんだが、言葉は悪いがタイトル通りのことを言う訳だし。助かる子供のために助からない子供の息の根を停めるのは間違ない。

脳死体。脳死の状態にある人が、医療を要する患者なのか、それとももはや医療を必要としない脳死体なのか。大きな違いがあります。

我が国の国民が海外へ多額のお金をかけて治療に出かけている現実に対しては、政治として、責任をもって対応しなければならないということです。

臓器移植を待ち望む方やそのご家族の切実な思い、各個人による、倫理観や宗教観の違い等々、本当によく議論して、議員一人ひとりが信念に従った行動が求められます。

協議を開始してどういう条件にするのか。また今よりも臓器移植をしやすい条件があるのかという観点から議論をすべきと考えております。

すぐには無理かも知れませんがある程度の期間を経て自分の子供の臓器が他人の命を救いその子の中で行き続けるとしたら、私は喜んで協力出来ると思います。

この手の記事を曲解して海外移植を悪だと考える人が、移植のための募金活動などを批判したり、邪魔したりする可能性が考えられるのでとても心配です。

A案は一律に脳死を人の死としていないのに…「一律に人の死」とフリップに出る。これはどこかの新聞が、間違えてそうまとめたものを、法案も読まずに写しただけ。

A案が可決されたが、これは時代の要請だろうか。人は脳だけで生きているのか。違和感は消えない。

しっかり議論した上で主張が平行線になった場合には、それぞれの意思を尊重しつつ、きちんと今国会中に結論を出していくべきと考えます。

「党議拘束」はかからない。個々の議員が「それぞれの見識と良心に従って判断する」ということだ。 え?自分は「臓器移植を待っている人々」のことが頭から離れない。

こういうことが分かってくると、脳死状態にある子供の脳死判定と、その臓器を取り出し他人に提供することをどんな親御さんが承諾するのだろうか、と疑問になってきます。

僕がコメントしたいのは投票に対する姿勢である。一つは、衆議院議員の約1割が棄権・欠席したこと。

早急なる法改正が急がれるのですが、そのポイントは難しいと言われる子供の脳死判定を如何に適正に判断する仕組みをつくるかにあります。

09年3月25日NHK総合で放送された標記番組を見ての感想文です。夕張の現状は、日本全体の将来を予告していると思いました。

「脳死は人の死」と、法律で決めようとするのは無理がある。特殊な場合の免責規定を設けると考えればよいのではないか。

必要なことは、家族が、最後まで、十分な治療を尽くしたと、納得できることです。そのためにも、家族に対する十分な説明や、精神的な支えが、重要です。

協議に基づいて取り纏められたものであり、これまで小委員会の審議を通じて明確となった様々な問題点を周到に検討されて成案になったものと評価されます。

カテゴリ:12医療/福祉(常設)|テーマ:脳死と臓器移植の生命倫理|更新日時:2010-07-21 22:07:24

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