裁判員裁判:市民参加の理念掲げ、全国初の裁判開廷
東京都足立区の殺人事件を審理する全国初の裁判員裁判で、裁判員選任手続きが3日、東京地裁(秋葉康弘裁判長)であり、参加義務のある裁判員候補者49人のうち47人が手続きに臨み、「参加率」は約96%に上った。午前10時38分に抽選で、男性1人、女性5人の裁判員6人と、病気などで参加できない場合に交代する補充裁判員3人が決定した。午後1時半から初公判が始まり、殺人罪に問われた無職、藤井勝吉被告(72)は「間違いございません」と起訴内容を認めた。国民の感覚を刑事裁判に反映させることを目的として導入された裁判員制度が、本格始動した。⇒毎日jpの記事をチェック!
「市民参加の裁判員裁判開廷」に関するブロガーの意見で、みんなの参考になりそうなブログ記事を集めています。自薦による投稿も受け付けているので、オリジナルな意見のブログ記事があったら、どしどし投稿してください。
やれ裁判員が質問をしなかっただの、証拠写真から顔を背けただの、本当に選ばれた裁判員にはお気の毒としか言いようのないことが問題点のように報道されています。
裁判員裁判はセンチメンタルな民衆の感情を取り入れることになり、一方的な判決が生み出される
裁判員制度は、その当初から、「司法に対する主権者の優越性と統制」という視点を欠いて始められているのであるから、それは最初から“残酷な見せ物”として出発している。
検事も判事も一般常識からかけ離れた人間が多い。あの独特な法曹界の用語と判決文書〜ボキャブラリー不足な下手な文章が変わるかも知れないことだけでも期待できる。
ハラスメントを受けて人の心に何が芽生えるか?私はこのブログにそのことを書き続けている。だから、国家権力によるこのパワハラを見過ごすことはできない。
裁判員席に座るだけで守秘義務が発生する。日当という代価で墓にまで持っていくべき知りえた情報と自分が下した判断を庶民に背負わせる行為は私には受け入られそうにない。
この市民が参加して比較的社会に影響を及ぼす重要犯罪を裁く裁判員制度は、迅速な裁判や裁判官の質量不足を普通の市民の考えで裁く画期的制度ではないでしょうか。
今までが知らなすぎたんだなって、思います。裁判が今までのように“判例”に沿った相場主義的な判決がでないように、私たちも勉強していく機会じゃないかなと、思います。
裁判って真実を追究する場でそこにいたるまで色々と調べて検察、弁護 双方がたたかうここに その日 抽選できまった人の意見というのは 本当に必要なのか
「一般人の総体」と完全同一化するのは不可能ですから、そんなややこしいことは考えずに、純粋に「自分の視点で判断」してもらえばいいし、そうしかできません。
「怪しい顔してるから悪い事したんじゃないの。」なんて言い出す輩も出るかもしれませんよ。裁判員制度が定着するまでは、こんな進み方で良いんじゃないかと思うのでした。
司法界で、こういう改革が始まったことは、一人ひとりを本当に大事にする世の中にかわる新しい動きの端緒になるだろうと期待する。
軽い刑では済まないので、裁判員に責任の一部を負ってもらおう〜なーんてことは考えてはいないのでしょうが・・・それでもって、短期間で判決って・・・
プロの裁判官も、(たぶん)陰では色々な犯罪を犯しながら大勢の人を裁いている訳だから、それが犯罪歴は無いにしろ、同じ一般の我々も同じ人間。
世間常識と乖離が激しくなっていることは否めまい。裁判員制度は一般人を裁判に参加させることにより法曹界の常識と一般人の常識の乖離を狭めるのに大いに役立つはずだ。
個人は社会とは無関係で生きていけないという立場に立てば、無碍に「裁判は法律の専門家に任せておけばよい」などと言って済ませばよいものではないと気づくはずだ。
もはやマスメディアにとって、裁判員裁判はネタでしかないということがハッキリと分かった。「国民の司法参加」など本当はどうでもよいのである。
制度も定着していくのでしょうが、制度が当たり前のものとして定着すればするほど、デリケートな問題への配慮が薄れていくような感じがして心配でもあります。
今まで「相場刑期はけしからん」とかいっていた連中が「相場が崩れた」と言い出した訳です。
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